世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

表現の不自由展・その後は、もっと政治的に利用できたのに、非常に残念だ。

 最初に、私は大村愛知県知事を擁護したくはない。むしろ反対の立場で、徹底追及したいのが本音だが、そんなネタで書いている輩はごまんといて、面白くないので、泣く泣く中立の立場で、書いてみたい。

 このあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」は、抗議が殺到して、開催してわずか3日で、展示中止に追い込まれたという不始末であった。中止理由は、簡単に言えば、安全管理上の問題ということだった。

 で、私は残念に思うのは、抗議を乗り越えて、1)展示継続する。2)展示の中止する。の2者択一に、意地を通すのも、手であったと思う。でも、以上の通りの理由で、そうしなかった。

 で、中止にしたなら、中止のままで凍結させておき、世論に負けておくのも、手であったと思う。大村知事が手腕のある政治家と思うが、腹があれば、ここは、右翼的世論の動向を飲み込んで、中止を実行委員長の権限で、再度検討は次回3年後開催まで、企画構想を練り直すとか、言っておけば、一部左翼世論から反対意見はあるものの、むしろ一般大衆から同情を集め、大村知事の政治的挽回のチャンスがあったと思う。

 そして、今回の文化庁交付金中止も、裁判に訴えるのでなく、苦境に甘んじて受けることもそうである。さらに政治的求心力をさらに高めることができたのに、やっちまったなと思った。ここでとりあえずお上に負けておけば、交付金なしに甘んじれば、上からの圧政だと主張できるものを、下手に交付金をもらいに訴えるのは、金だけほしい浅ましさを知らしめるだけで損である。

 いつもバカのひとつ覚えで大村知事が言う「表現の自由。これは権力の検閲に当たる」※は、伝家の宝刀ではない。彼も実は公職者であって、権力であり、河村名古屋市長に対して、そう非難しているが、これも、知事は市長より高位なので、市長を非難すると、これは、権力による圧力になる。この点でも、政治的に不利なので、うまくあそこは、丸め込むか、聞き流すとかで、乗り切れるのに、ムキなって反論したから、ことが大惨事になってしまった。

 

※私の持論、『公式な場で、公的権力者が「表現の自由」を言う権利は一切ない。民間人とメディアがそれをいうことができる』と。権力者は、付託された選挙民の意向を踏まえて、忖度し十分に考えた言葉を発すべきであると思う。

 

 それと、問題を検証員会に結論丸投げもダメだし、こんな組織は知事の意向に忖度するのは、目に見えていて、知事が責任感なしとられても仕方ない。「責任は私一人にある。芸術監督の任命責任もある」で会見を終えておれば、この不始末は、早期解決で打開出来て、しかも、大村知事に同情が集まる好感度上がるでいいことずくめなのに、それができなかったことに、不運さというか、世間は、知事の器の小ささを見て取ると思う。彼にはしっかりしたブレーンがいないのであろうか?よく分からないけど。

 たぶん世間は、会見で言い訳を聞きたいのでなく、立場を守る醜い姿をみたいわけでもなく、「県民の命と財産を守る」ために、必死な姿を見せて、「ごめんなさい。やむなく中止にした」とかを前面にできなかったのが、非常に残念である。

 それと、中止になった出展者に、知事自ら出向いて謝罪のあいさつとか、例えパフォーマンスと言われてもやっておくべきであったと思う。そういう小さな積み重ねが、選挙に生きて来るのだから、この人は、ピンチをチャンスに活かせてないと思う。

  県民の安全と安心を守るという強い意志に加えて、抗議で不安に晒された関係スタッフへの労い、そういった部下からの信頼を彼は勝ち得てるのだろうか?もっと、上の立場の自分自身で、自ら泥をかぶるくらいのリーダーシップを大村知事に見たかったな。

 たぶん交付金の件で裁判に持ち込めば、この問題が長期化し、マイナス要素を穿り出され、右翼的世論、特にネトウヨの格好の餌食にわざわざなりにいくのは、賢明でない。こういうトラブルは短期に収束させる案件であったと思う。まあ私は関係ないので、どうでもいいけど。

 短期的局面では負けて耐えて、その後に長期的な勝ちを取りにいく戦略がない政治家、左翼的言論の方々に、この傾向が少ないように思えるのは私の気のせいだろうか?youtuberの立花N国代表が、左翼の人と絡まないのは、最近元気がこの方面にないからと思われる。

 こんな風に今日本の政治が面白くないのは、私たち年代の大人が、面白くないからと思うので、もっと、面白い生き方考え方で、若い人をリードしないといけないと思う。そんな意味で、もっと政治を面白くする人材、ワクワクするような人が現れて欲しいものである。

 で結局は、大村知事を間接的に、批判する記事になったけど、でも、もっと、反対的意見でやり込めるのもできたが、政治的手法を変えれば、物事は、もう少し穏やかに着地できるかなと思った次第である。