世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

国葬反対=東京五輪反対≒中国共産党のシンパや協力者と感じる私は、妄想するネトウヨなのか?アベガーするマスコミは、貧困な精神というだけは間違いない真理であろう。

 安倍元首相が狙撃されたあの事件から10日経過した。直後のショックと喪失感からは立ち直り、ふと気づけば、アベガーさんらの多さとひどいモノ言いに、やりきれない気持ちになる。

 彼らの見解は、安倍晋三という人の死を軽く扱うというべきか、川柳に風刺やユーモアを込めたというより、自分らの都合の良い事実に捻じ曲げたいだけのエゴ、ひどい人格攻撃、実は安倍独裁ではなくて、彼らこそ、言論統制したアベガーのための独裁を実現したいだけなんだと思えてくる。

 大嫌いなある活動家が「日本の国民を二分している」と言っていたが、アベガーこそ多数派意見でなく、ごく少数派なのに、声が大きいと、ごり押しで何とかなると思っていると思う。正義は我にありで、それ以外の反論は一切認めないし、反対する人をバカ扱いする真の愚か者の集団と私は思っている。

 故人に対する敬意、遺族への弔意なんかは、このマスコミや特定政党とシンパにはない。ロクデナシ。税金うんぬんは、オリンピックの時と比べたら、微々たる支出だし、これで、問題になるという神経こそ、大いなる誤解と偏見。貧困なる精神と言えよう。

 東京五輪反対と言っていた人々と全く同じ方々が今回も蠢き、中国共産党と全く同じ意見だし、CCP工作活動を熱烈歓迎していて、工作資金や報酬をもらっている以上、必死に中共さんにアピールしている様は、悲しいくらい彼らは真面目で哀れだな。それらに同調する輩も含めて。

  今回岸田内閣は、「内閣府設置法において、内閣府の所掌事務として定められている「国の儀式」として、閣議決定をすれば実施可能との見解を示した。」とあり、この法的根拠は、「国の儀式」として取り扱うらしく「国葬儀」と表現している。

 どこかの反対する政党さんは、法的根拠はないとか言うし、政治的評価、国内意見が分かれるとかも、反論根拠にしているが、これらが果たして国葬反対に値する意見かどうかは、言わずもがな一考にも、値しないと私は思うが。

 安倍さんを弔いたい多くの国内外要人に対して、今日本国政府はどう責任を果たすべきであって、国内特定野党やマスコミらの反対意見を相手にするだけ、全く時間の無駄ではと思う。ハイハイと聞いて、粛々と準備をするのが得策と思う。