世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

表現の不自由展の問題は、愛知で解決する。ただし、外野の両サイドは文句を言わないこと。

 もう最後にしようと思っても、つい気になってしまい、また自分勝手なことを述べたいと思う。再開決定したと聞いたあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」については、そもそも、問題認識がありながら、展示強硬をした芸術監督津田氏に問題ありで、結果責任を追及した検証員会の評価は間違ってなかったように思える。

 検証員会は、実行委員長にも責任あるので、そこをどう評価するかがキーだったけど、予想通り、お手盛り検証員会だったので、実行委員長は何の問題もないような結論だったのだろうか?まあいいけど。ともあれ、事業主体の全て責任は実行委員長であるということに尽きる。素人目に見て、そう感じるが、百歩譲って、機関決定だからそれを尊重しよう。その見解は以下の通りである。

 

 1)当事者が問題の解決すべき案件

 これらの騒動は、主催の愛知県で全て解決すべきことで、そもそも「検閲」とか、「表現の自由」を持ち出すことではないと思う。テロ行為の恐れがあり、安全安心の問題で、公開中止に愛知県がしたので、権力側が中止したのではない。再開も愛知県がそう決めたわけであるからだ。 

 

 2)交付金不交付決定と検閲は一切関係ない

 文化庁交付金不交付決定したことと表現の自由は、一切関係ないと思う。「検閲」とか持ち出すことが、そもそも論点のすり替えであり、不交付決定が不服で裁判を起こしたいのなら、(話し合いで和解の方が、双方で痛み分けできると個人的はそう思う。)愛知県がやればいいだけである。交付する側から、理由は明白で、騒動が起こり、報告なしで問題ありと判断したから、仕方ないと思う。それ以上でも、それ以下でもないと思う。

 

 3)芸術祭としては?でも炎上商法としては成功

 これは、全て炎上することを把握しつつも、何の対策をとらなかったのではないか?騒動が起こった後で、後手後手に手を打つと、不細工な話であり、後で津田氏が言う「匿名の群衆から抑圧があった」としているが、ご自分の蒔いた種であるだけに、何とも無責任を免れないと思うが、でも、もしこれが、炎上させることが目的で仕掛けたなら、芸術の評価は?であっても、プロパガンダとしては、自分達の主張をうまく盛り込むことができたのだから、大成功だし、「表現の自由」「検閲」で乗り切れれば、戦略として、間違っていないと思う。

 

 4)交付金不交付でさらに問題解決は愛知県の中で処理しないといけなくなった

 以上の事から、私は、ここで、「表現の自由」「検閲」を盾にするなら、愛知県以外の人間を巻き込むことはやめていただきたと思う。これは地方の芸術祭なので、よその土地の人間が口出しするのは筋としておかしい。また私はそんな無駄な時間を費やしたくないからだ。

 

 5)左右両陣営は、この問題を外部から言うのはやめる。

 この騒動に左右両陣営が真っ向勝負な論争は、これ以上の生産性を生まないので、即刻辞めた方がいいと思う。

 税金も国税は使われないことになるので(今回文部科学省の判断は正解と思う)、今では県民市民税の使われ方問題であり、明確になったので、そこの関係当事者らが決めたことに従うのが一番落ち着くのではないかと思う。

 よって、外部の人間主導で交付金不交付撤回署名はやめるべきである。ただし、SNSでこの騒動を色々言うのは自由である。世論(この場合は愛知県民)がこの問題をどうしたいかという情報発信であれば、話は別であるが。そのなかで、市民(プロ市民ではない方々で、純粋な有志の市民)主導であれば、おおいにそこで、議論していくべきである。知事が圧力を行使しないのであれば。

 左翼メディアがいう「表現の自由」「検閲」は、正直無責任な主張なので、意味はないと思う。右翼系意見はSNS等で続けても、おそらく、左翼系の方々は耳を貸さないので、早い時期にどこかの時点で撤退をすべきトピックであると思う。ケンカ両成敗でありながらも、県知事の選挙で最終的判断で決めることが一番妥当だと思う。