世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

発達障害は理解されない。生き苦しいもんだけど、小さくても希望を持たないと、生きていけない。

 今日はいつもとは路線変えてます。政治問題に素人のクセに、大言壮語を吐いて、特定勢力の批判ばかりで、いつも疲れ切っております。逆にいつもと違うそんな時の話題の方が、アクセス数が案外と増えて、微妙な気持ちになります。(笑)

 で、私自身もADHD多動性注意欠陥障害でして、どちらかと言えばADD注意欠陥障害らしく、でも、家では、多動性やこだわり行為が多いので、ハイブリッド型な発達障害と認識しております。

 きっかけは、娘が軽度な知的障害を含む発達障害であったので、私も調べてみたら、こういう診断であったわけです。そういう兆候が日常生活や仕事に多々あって、生きていくには、しんどいことが多かったということです。

 私はそうでもないが、子どもを見ていると、せっかくいい部分も持ち合わせていながら、できない部分もいっぱいあって、なかなか他人に理解されないのは、苦しいだろうなと思います。うちの子も記憶がいいだけに、変に嫌な事も記憶に残っていて、トラウマがひどいわけです。

 下記のリンクの通り、giftedとは、直接的には「天賦の才のある、有能な、(…に)才能があって、有能で、恵まれて」という意味らしく、以下の動画では、「人より優れた才能を持つ子供のこと」らしく、「(中略)しかし、飛び抜けているがゆえに、人に理解されず苦しむ。まさに君だ。」というセリフを思わず、感動してしまいました。

 「だから、神様が下さった自分の才能に自信を持って欲しい」と言われたセリフに、希望がないと、私ら発達障害の人間は、健常者とは、ちょっと違っているだけで、理解されずに苦しいばかりでした。

 ふと自分は恵まれていないとか、他の人がうらやましいとか、そんな風にしか見えてなかった世間なんだけど、神様与からえられている才能を個性をもっと伸ばしていくんだ。動画を見て、自分らしく生きてもいいんだと強く思いました。