世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

民意はどこにあるのか?

 あいちトリエンナーレ表現の不自由展への抗議、経済産業省所管による韓国のホワイト国除外等の輸出管理のパブリックコメントなどで、一定の国民の民意というのが示されている。

 それは、かの国やそれに追随する日本国内の一定勢力やマスコミの大半は、まるで、なかったかのように、扱われている。

 表現の自由が損なわれているとか、かの国は経済侵略、不当な措置だとか、おかしいと思う。大多数とは言わないまでも、日頃はおとなしい国民が、意思をはっきり示し、かの国のこれまでの姿勢を見て、また、反日プロパガンダの発露だけで、全く芸術的価値を見出せないで、不快にさせる展示についても、はっきりとNOと言った。

 しかし、それは、ダメなことなのか?弱いモノいじめしていることなのか?展示への抗議は、偏った意見だから、意味がないのか?某メディアのコメンテーターは、パブリックコメントは、煽られた愚かな民衆の意見みたいなことになっているし、その愚かな民衆の抗議での「表現の不自由展」の展示中止は、民衆の声ではなく、市長の公権力が検閲したというストーリーができ上がり、あの展示に悪意と不快と感じた民意は、メディアによって抹殺されている。

 あいちトリエンナーレの津田監督は、去年Radwinps の新曲が軍歌の様だと批判し、謝罪させていたのに、「表現の不自由展」への抗議はどう感じたのだろうか?また、彼に同調し、かの国に追随するメディアは、憲法21条の表現の自由を強調し、権力の弾圧に仕上げたいのだろうが、他方憲法12条の「権利の濫用してはならない」と「公共の福祉のために(権利と義務)これを利用する責任を負う」をどう解釈するのかをちゃんと伝えないといけないと思う。

 こうした左翼的思考の方々は、ご都合主義で、自分勝手な振舞いが目立つ。都合のいい時だけ、他者を批判し、反対に批判されると、言い訳したり、論点をヅラしたり、逃げ回るし、うんざりする。もちろん右翼的思考の方々も、こうした傾向はゼロとは言わないが、昔「ソ連の核はきれいな核だ」とどこかの公党が詭弁を展開していたのは、そんな一連の言動を象徴していると思う。

 公金を支出する以上は、賛成反対の両方の意向を踏まえたやり方であれば、問題なかったし、そうすると、津田氏の意図にそぐわないものになっただろうが、公的なお金であれば、一方の意見だけを主張するのはフェアではない。あるいは、表現の不自由展に、北朝鮮や中国の指導者の政治体制を批判する展示を加えて、思想的に公平にしたらどうなんだろうか?でも、津田氏は、これまでの彼の信条からそれは絶対にしないはずである。

 民意をどうくみ上げるのか?税金を使っているから、公的機関を使用するから、主催者に県や市など地方公共団体があるのだから、アートを装った政治色の強いプロパガンダのあるものを出すのは、こういう危険性を予知できたはず。そんな反響があることを踏まえて、最後まで責任ある姿勢で、責任者である県には、「不自由展」の事態を適切に収拾してほしいと思う。あの知事の記者会見だけで幕引きでは、全く不十分と思うからだ。賛成反対の民意を踏まえて、ちゃんと双方納得できる話をつけてほしいものだ。

 それと、津田氏のステートメントを読んで感じたのは、今年4月ニコ生の対談動画発言で謝罪していたりするが、芸術監督としての器なのか?私が言う資格がないけど、資質うんぬんもあるが、具体的に不快を感じた方々の痛みを共感できていない気がする。気持ちに寄り添った内容ではなく、自己弁明しか見えなかった私は、心が狭いのかな?と色々と考えさせられた。

 「表現の自由が後退した」のでなく、津田氏あなたがそう仕掛けた結果なのであり、その全責任を関係者や来場者にきちんと果たすべきであると思う。そうでないと、今回の不始末は収拾がつかないし、あなたが具体的に何に謝罪しているかよく分からなかった。起こった事実に誠実に向き合ってほしいと思った。

 

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