世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

#表現の不自由展かんさい。開催らしいが、私は関心が全くない。でも、戦うべき人は戦い、戦わなくていい人は無視が一番いい。マスコミに#報道しない自由。があるなら、一般人には、#見聞きしたくない権利と自由。はあるんやと言いたい。

  学術会議と同じ連中が騒いで、表現の不自由展を各地でやっている。でも、こんな先鋭的なことに、日本全国で騒ぐ必要はないと思う。しかし、戦わないけない人もいる。その方々は、是非とも戦わないといけない案件である。反日プロパガンダで、このまま野放しはいけない。皇室への侮辱、日本と日本人へのヘイトは、人権擁護されないのが定説だという愚かな話だから。

 ただし、私みたいな一般人は、この案件は「心してかからないといけないから、覚悟がないなら、抗議活動はやめて、一切無視でいいと思う。表現の自由があるなら、初めから、見聞きしたくないものをムリに見聞きする必要はない。初めから、ケンカを売りに、イキッテるヤクザと同じレベルと思う。あいちトリカエナハーレ頑張れ!

 ムダに時間を費やして、展示を見て、精神や心にダメージを受ける可能性があるし、いいことはひとつもない。どうせ身内だけで、騒ぐバカみたいなイベントだから、物見遊山に行く価値はない。情報も入れる必要も全くない。訪日を画策する韓国大統領と同じ、マスターベーションだ。

 要は関心を持つことで、反日サヨクを調子に乗せることにもなるので、私はそう主張する。一般人には一般人の生き方、考え方があるし、こんなつまらないバカどものお遊びは、そのうちに必ず消えてなくなる。歴史は価値あるモノを芸術にするはずで、こんな政治的なパフォーマンスを芸術と支持するのは、頭がいかれているとしか言えない。と泉州のおいやんはまた言うてたよ。

 展示中止に裁判で再開命令、これは、これから各地でもっと続くであろう。展示反対の住民訴訟が起これば、また状況も変わるはずだし、関心が高くないネタになっていることに、私はすごく満足で、ムシを続け、身内しか集まらないイベントに成り下がることを望むし、公共施設から、やがて排除されることを望む。自分らのテリトリーでやれって話。毎日新聞朝日新聞の本社で、展示して、政権批判してたらえんちゃうん。