世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

花火大会をうがった見方で考える

 今年うちから花火大会を見ることができる。しかも、気づくと2回もある。

 当初そちらの花火大会が昨夜あったのかと思ったが、実は、調べて分かったのは、後に触れるB主催の方であった。

 実はそれまで、10年ほど行政レベルであった。記憶に残っているのは、2か所で花火を上げていた。そのうちの1か所(ここではA主催とする)が、2012年にスタートして、その民間レベル完成できたのであった。それまで、財政難で取りやめていたのに、民間で寄付を募り、地道にコツコツと実績を積み上げている。

 で、もうひとつの場所(ここではB主催とする)も、実は再開していて、これがまた、大掛かりで、隣り合う場所で、同じ花火大会を時期をヅラして開催していたのだ。こちらは2014年音楽祭からスタートして、地元民の要望に応える形で、2017年に花火大会にまでに、発展させたらしい。

 これって、横並び意識ではないかと思う。A主催とB主催は、各自独立していて、コンセプトに違いはあるけど、隣り合う街で、同じようなイベントを開催している。何か、ジョイントというか、コラボさせてもいいのではないかと思える。どっちがキャスティングボードを握るのかという問題は大いにある。

 うちらの地域は、結構狭いエリアで居住している場所もあるので、どこそこの家が、鯉のぼり買ったとかとなれば、同じように鯉のぼりを買うような行為をする方々が多いと、かなり前に聞いたことがある。親戚血縁地縁関係があって、狭い世間のところがあるようで、今はだいぶ薄まっているらしいが、難しい部分もあるようだ。

 基本は農耕民族であるから、潜在意識の中に、皆と同じようなことをしないと、仲間はずれになるという恐怖感があり、それと、みんなと張り合いたいというライバル関係の縛りもあるので、同じようなことをしないという強迫観念も、働いていると思える。

 同質化したコミュニティーで生きている以上、こうした横並び意識からは逃れられないと思える。それが日本人社会の難しい部分であると思う。