世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

差別はイカン。でも、大阪なおみらシンパや、多くのサヨクらが言うのは、差別でなく対象で、反日の差別はOKで、在日、黒人、ユダヤ人までは厳しく抗議される。ダブスタと矛盾を一切言わない不思議。

 いつも感じること。それは、海外の慰安婦像の設置で、そこに住む日本人 が不当に差別される事象がある。一切マスコミは取り上げない。無視を貫いている。ともかく、人権団体は日本人を貶めることは恥ずかしげもなくできるし、むしろ、煽り続けて、もしかしたら、それを喜んでいるかのような振る舞いに感じる。

 彼らは不公平を訴えながらも、ダブスタで矛盾した行為はマスコミでは非難されない。彼らこそ、狂人のように、もっと日本人は世界に向けて、自虐史観に基づき、謝罪を続けよと言い続けているように見える。

 

 それと大阪なおみ選手を同列に扱うのはイカンとは思う。しかし、私は、正直彼女のこの問題意識をダメとは言わない。しかし、私はこの人が、黒人差別をアメリカ国籍で言うなら、何の矛盾もなく正当性を感じるが、果たして日本国籍を持つ必要があるのかと思うし、正直に言って、彼女がどう言ったか何を言ったのかについて、まったくのところ一切関心はない。

 彼女よりは影響力は落ちるが、八村塁選手については、同調できる。なぜそれほど違うのか?それは、日本人のマインドを持っているかの違いと思う。国籍+血統だけでは、日本人とは言えないと思う。同じ気持ちになれるかがあるかと思う。

 

 大坂なおみを見ていると、彼女は純粋でいい人で、BLMを信じているし、メンタルも強くないことは理解する。ただ、彼女のキャラより、大人の事情で、日本国籍を取得したとしたら、感心できた話ではない。逆に、最近スポーツなどの一芸に秀でた人の日本国籍取得は、相撲取りやスポーツなどOKが多くて、勝つためなら、国籍変えてもOKは行き過ぎではと思える。例え本人がいい人でも、何か複雑な心境になるのは私だけ。

 

 言論の自由で、言う側は、何を言ってもいいが、聞く側も、何を聞いても、聞かなくてもいい権利はあるはず。そもそも、聞く側ももっと、そう主張してもいいんではないかと思う。

 また、私自身は日本人の中の日本人でもない。恐れ多くも皇室に対する尊敬と敬意と感心は、私の親世代よりは薄いと思う。でも、大坂なおみ選手みたいな方々は、正直苦手で、下手に批判などしようものなら、もし私がインフルエンサーならば、黒人の人権ガーとか、非常に聡明で謙虚な人権擁護の方々に、差別主義者とレッテルを張られたり、糾弾されかねない。 

 

 だから、ますます人権擁護派≒サヨクについては、このダブスタ、矛盾、論理破綻が見えている以上は、絶対に信用はしない。もちろん、そこに同調する人の意見も疑わないと、誰も正しいことを言っているとは限らない。厄介なのは、正しさに紛れて、危険な考え方を持ち込むことを恐れて、私は警戒してしまう。彼らの独特の作法なので、仕方ないが、反論をできるなからして、気分的にしたくない時はムシでいいであろう。