世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

#立憲・川内博史議員のツィート。皇室を政治利用した発言は、政治家としてアウト。#不敬事件。を調べて思う、気骨がなく覚悟がないなら、与野党問わず議員は政界を去るべし。

 このご時世に、アホなことはいくいらでもあるから驚かん。しかし、恐れ多くも、天皇陛下を引き合いに出す不届きで不埒千万な言動は言語道断。これこそ、議員辞職勧告や辞職決議で改めて厳しく責任を問われないといけない。

 以下の通り、辞職すべき事由を3つ上げる。

 

(1)皇室への不敬を恥じよ

 と言う私はバリバリの右翼ではない。サヨクらがこうした無神経で不敬な言動行為をすることが、許されないと思うから。サヨクマスコミの表現の不自由展報道でも、昭和天皇のご真影を燃やすという無礼は、日本人の心情を逆なぜする行為であるが、一切その不利な情報は言わない卑劣さにもはらわたが煮えくり返る思いがする。それは、皇室を敬う人らの心情を踏みにじる行為だから。

 自分の反対意見の人の心情が分からないし、分かろうとしない想像力に欠けていて、むしろ自分の思いを遂げることしか見えていない狭窄した視野の持ち主で、国家を語る国会議員としては不適格と判断せざる得ない。

  

(2)自分の政治信念を死を覚悟してまで貫け

 その昔内村鑑三というキリスト者で、有名な人がいて、新渡戸稲造らと同じく北海道農学校出身で、1891年(明治24年)1月9日「第一高等中学校の講堂で挙行された教育勅語奉読式[1]において、内村が天皇晨筆の御名(おそらくは明治天皇の直筆ではなくその複写)に対して最敬礼をおこなわなかったこと」(「不敬事件」ウィキペディア

 で、令和の世では、政府与党をご立派に批判していたのに、自分のツィートが炎上し、世間から大バッシングを受けた。この立憲民主党のこの議員は、自分のツィートを都合悪く思い、「誤解されたので削除した」という。 

 内村は自分の信仰を曲げずに、一高の教師の職を辞した。不敬を認めて、当時の世間の風当たりは今よりもっときつくて、家族にも迷惑をかけ、一時は死を覚悟しただろうが、川内議員は自分の保身しか考えず、信念をひっこめた腰抜けで、マヌケである。政治信念を貫けなかったという。明治の偉人とはそら月とスッポンだ。

 

(3)結局は中途半端だからダメ。

              →立憲民主党は、暗黒時代と揶揄され排除される。

 あえて(1)と(2)で真逆のことを指摘したが、結局はどっちつかずで、明確な姿勢を示さないのは、卑怯者であって、国士でもなく、小者であり、思い付きで、人の神経を逆なぜさせ、自分が悪いとは感じず、恥じないと、そんな人間性を疑う。

 所属する立憲民主党は、ワクチン接種でも、国内治験にこだわり、接種を遅らせて、感染拡大や重体患者やコロナの死者を増やした原因を作ったのに、HPでは政府与党に責任だとウソをつき、責任を擦り付けている。こんな政党は日本には必要ない。消え去るべきである。

 「モリカケ桜を徹底追及し、コロナは残りで審議する」とほざいた売国政党であることを忘れてはいけない。日本と日本人の命をないがしろにして、どうして信用できるのか、「暗黒の民主党政権時代」と揶揄されても当然で、こんな人たちが、政治をしてはいけない。

 

(4)絶体絶命の時、どう向き合うかで、真価が問われる

 立憲民主に腹を立てすぎて思わず脱線したが、失敗して絶体絶命になる時は、誰だってある。そこからどう立て直すのか?問題にどう向き合い、困難を乗り越えていくのか?いつもきちんした答えはあるわけない。

 自分の信念に照らして、どうあるべきか?そこに尽きると思う。今の世の中は、反対意見の者に、銃で狙われたり、刃物で切り付ける輩がいて、命の危険があるわけではない。安全に過ごせる。だから当選さえすれば、安全で平和ボケしノウノウと、特権階級の国会議員を続けることができる。

 行くか、退くかを腹を決めて、どんな困難があるかも受け入れて、できるだけ自分に厳しい選択をすれば、ここまで、私は怒らずに済んだはず。今の議員らは、与野党問わず、信念が足りないし、覚悟がない。だから、言動が軽薄短小で腰抜けと言える。昔の議員らは、吉田茂などギラギラ生臭かった。食うのにも苦労をして、必死にリアルに生きていたから、迫力や威厳はあった。

 しんどくても、逃げないで、修羅場でどう自分を磨くのか?なぜピンチな時こそ、ベストを尽くさないのか?自分自身にも言い聞かせているが、今一度考えて言葉を発して、行動すべきではないかと思う。