世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

働き方改革は、新しい働かせ改革であると感じる。

 この4月から法律の施行で、 同一労働同一賃金の導入が始まる。

 「同一企業・団体におけるいわゆる正規雇用労働者(無期雇用フルタイム労働者) と非正規雇用労働者(有期雇用労働者、パートタイム労働者、派遣労働者)の間の不合理な待遇差の解消を目指すものです。」(厚生労働省)とのことらしい。

 先ほどの課題解決となり、待遇の格差解消、不平等さの解消ということが目的で、果たして、それが本当に、労働者にとって、この法律施行で、理想的な職場づくりになるのか?働く側の求めた働き方なのか?実のところ私には、よく分からない。

 確かに今までの在り方で、時代の急激な変化に、労働者が対応できているとは思えない。しかし、平等ありきだけでいいのか?おそらく、経営者側は、契約・派遣・パート・アルバイトの賃金を上げずに、正社員の待遇を下げる方に、今後進み、賃金上昇はなかなか踏み切れないと想像できる。

 現在コロナ騒動で、緊急避難措置的な在宅ワーク、時差出勤が奨励されている。これも、おそらく、もっと企業に定着していくであろう。これも、企業側の賃金抑制対策であり、さらに、迅速性や効率性、高付加価値を労働の成果に求め、先ほどの平等の下で、新たな格差を生み出しているのではないか。さらにシビアな労働者の能力選抜が進むことが考えられる。

 無理で過大な要求を企業は労働者に求め、一部の厳しいノルマ要求に応えた者だけが、成果報酬をゲットするような時代に入っているのではないと思う。個人的な意見感想であるし、独断と偏見ありと思うが、時間をかけて、人材育成するような余裕が日本の企業に無くっているのではないかと。また、新しいことにチャレンジするパワーが枯渇している気がしている。

 働くことが、時間に拘束されて、成果と効率だけでしか、評価されない人事査定は、果たして、企業を強くするのか?もちろん他社との厳しい競争だけでなく、グローバルな視点でもシビアな利益追求は企業活動である以上仕方ない。

 しかし、なんか最近遊び心やゆとりを自ら放棄して、目先の利益や成果に、必死になり過ぎて、日本経済全般に先行きが不透明さが拡大しているのではと、個人的意見ながら、私は危惧している。と言っても、こんな世間の片隅なんだけどね。

 

 

<関連リンク>

同一労働同一賃金ガイドライン 厚生労働省