世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

朝鮮人という言葉で、差別を連想して、事実を捏造と言いきるには、難しいかも知れない。シュン@ひろしまタイムラインを見て思う。

 歴史と向き合うしかない。昔のことは、昔の事実の積み重ねの歴史がある。戦争を簡単には私も語れないが、正直に語ることに意義と価値と重みがあると思う。それが差別を助長するならば、ユダヤ人と語るだけで、私らは差別主義者になってしまう。

 戦後に韓国朝鮮人の暴動があったことは、史実であり、今日本の歴史では、触れない。触れようともしない。なぜか?検定教科書にないのと。

  もし、こんなことをテレビや新聞で触れたら、民団や総連から、強い抗議がくる。おそらく、北朝鮮・韓国政府からも非難抗議がやまないであろう。また、もし記事を書いたなら、その担当者や責任者は圧力団体等に糾弾されることであろう。と、これまでのパターンである。

 今はネットの時代で、こうして以前の時代以上に、書くことはできるはず。影響力の方ならば、訴えられるとか、例の方々から、怒涛ごとく非難抗議が雨あられであろう。これは変わらない構図である。

 私も匿名を使って、何かギリギリのところで、抗議をしている。政治的発言をしている。大丈夫かなと思いつつ。今後川崎市のヘイト条例で、言論弾圧される可能性もゼロとは言えない。こんなネットの世界の片隅まで、事実を述べているのに、ヘイト認定されたら、それこそ不当だと、そっちが違憲であり、人権侵害で訴えてやりたい。

 史実を探れば、日本の韓国併合は、不当に植民地してのか?どうか?その検証も議論を飛ばして、日本が韓国を強奪していったみたいな韓国・北朝鮮だけの主張が取り入れられた歴史観が大半であり、戦後70年以上経過しても、その自虐史観が全てという見解は学問的にどうかと、あまりに政治的な見解でしか見ていないのではと思える。

 日本は民主主義であるならば、今一度全て、憲法も歴史も見直して、その上で、政治を考えてもいい時期ではないかと思える。

 本当に差別を連想する何かがこのタイムラインにあったのか?本当に、実在した人物は、事実を捏造したのか?でも、ごく普通の生活だったのが、戦争で大きく変わり、その歴史の流れの中で、しっかりと見て聞いたことが、このタイムラインの全てではなかったのかと、第三者ながらそう思える。

 炎上する部分は、差別とそう捉える人がいるのも確かだが、それが全てでなく、マイナスもプラスも、喜怒哀楽が全て、その歴史的事実の記録にあったと思えるから、私は勇気ある投稿だと思う。

 日本が敗戦したけど、終戦したというのも、これも政治的意見でいいと思うし、終戦後のどさくさで、様々なことが揺れ動き、翻弄されながらも、日本人が生きていたことを知るのは、大いに意義がある。ただ、全て差別だとする言い方は、「(不都合な)歴史から目を背けるな」という朴槿恵の言葉を思い出してしまった。それを韓国政府こそが噛みしめるべきではないかと思う。