世間の片隅でそっと叫んでみる。

一般人で無名の中高年のオヤジが、ブログという世間とネットの世界の片隅で、ADHD(多動性注意欠陥症)を抱えながら、政治や経済などを意見してみる。

ポリコレ=自粛警察。「終了かどうかは私たちが決めます。」記者のツィートを見て、個人の感想、心が荒む。社会全体が不寛容に向かう気がしたのは私だけ?

 

 初めにお断り、この件はツィートした記者個人を批判したいがためのものでなく、こういう意見もあるのは大いに結構。言論の自由表現の自由で、ましてそういうプロの方であり、朝日新聞記者であるなら、私にはこういうモノの言い方は想定内であった。

 しかしながら、この方だけでなく、こういう方々はどうして、いつも決めつけと、自粛警察みたいなポリコレ (=ポリティカル・コレクトネス)を発揮して、ダメだしをしてくる。さらに森会長の謝罪会見でも、わざわざ相手を追い詰め、怒らせ、揚げ足取りに飽き足らず、ついでに、なぜか保守的価値観を徹底的に排除をしてくるのであろうか?

 この経緯を見ても、正義は我にありと必死なご様子で、マウントをとったまでは百歩譲っても、勝者の寛容さや余裕は一切なくて、自分らの勝手な価値観の押しつけ、押し売りはやめていただけないであろうか?なんか心が汚れるというか、荒んでしまう。こんなマスコミのプロパガンダがさらに幅を利かせれば、フェミが正義で絶対で、それ以外の価値観は徹底排除という社会に向かい、アクティブさでなく息苦しさを社会に残すと思う。

 失礼ながら、森さん年代にも、寄り添う寛容さが必要だし、批判しているマスコミや芸能人は、その会社には、さぞ女性役員がいっぱいいて、フラットなホワイト企業で、女性へのセクハラ発言などしない清廉潔白な方々と私は大いに感心している。きっとお自分のことを棚に上げて、人には厳しく責める方々ではないと信じたいが・・・。

 もちろんフェミニズムがダメとは言わないが、騒ぎを大きくして、問題をハードランディングして強硬な手立てに出るのは、日本の社会の中に分裂分断を引き起こすだけだと思う。フェミニズムは配慮するという目標であって、絶対的な価値基準ではない。私はそういう認識である。

 まるで各術会議の否認された側を見るみたいで、今までみたいに承認しろという叫びを見る思い、それに通じるというか、学術会議では承認されなかった方には敬意を示していたように、それなら、森会長への敬意を示さないといけない。全くそれはなくて、全紙とも人格否定に近い記事ばかりと感じるのは私だけ?

 私は政治的に関心が薄い方で、森さんに賛同はしない人でも、これは、どれだけJOCに貢献されて、今回コロナ禍でも各関係先に足を運び尽力していたのに、確かに役割として当然でもあっても、失言をテコにして、全て悪者扱いはないんじゃいかと思う。

 発言も切り取り捏造編集工作で、自分らの都合のいい主張を大いに盛り込んで、そのやり口はヤクザのイチャモン以上に品性が下劣であると思う。会長を辞任を織り込んで、恣意的に動いていたら、これこそ問題原因を追究し、責任を求めるレベルである。

 そうした行為がもしなるなら、実現不可能な話だが、記者か企業は業務一時停止などするべきであろう。言論の自由表現の自由を捻じ曲げていると判断されれば、今後検討すべきである。

 以上から陰謀論的に言えば、森会長の失言→JOC会長辞任→後任難航→運営混乱→コロナ感染者減少せず→ワクチン効果に疑問?→東京五輪までに対策不十分が判明、からの東京五輪開催中止がまるで、ストーリーとして決まっていての、今回の騒動であるならば、このツィートは意味があったと思える。

 あくまでも、みんな大好き陰謀論であって、根拠のないデマで、フェイクニュースでり、私の思いつきであるが、双方に言い分があっても、一方は同調圧力で抑え込まれ、反論を許すまじというスタンスなので、誤解覚悟でまた書いてしまった。